お盆クル−ジング「心の港 牟岐へふたたび」 by Bigelle
2004年8月10日〜15日(梁川記)
 今年北港ヨットクラブに入会させていただき、会長の寺尾さんとお話する中で、「心の牟岐」へ、行きませんかとお誘いしました。「心の港?それは?」との問いに、私たちが20数年間の牟岐との交流のお話をすると、よし行こうとの快諾が得られました。

 私たちの艇は以前クル−ジング艇でしたが、今はレ−ス艇になりクルージングには中々行けませんでしたので、その時は嬉しくて、嬉しくて… そしてさらに驚かされたのはあのBIGELLEで行くとの事。感激感謝で胸いっぱい。

 私が、牟岐に初めて行ったのは、20数年前。ヨットが珍しかったのか、漁師さん、子供たちが艇を尋ねてきました。特に漁師さん達とは差し入れの海の幸で酒を酌み交わし、海の話に及ぶと討論会に早変わり。マグロ漁船に乗って世界の海を知っている彼らは、「陸(おか)の人たちがおいしい魚を食べたかったら、もっと海を大事にしろ。」との事でした。洗剤その他汚染により磯枯れが増大し、魚の住めない海が拡大しているとの事。酒宴は長々と話も長々と続き、一人の漁師さんは、艇から陸へ渡ろうとして海に落ちるぐらいでした。さらに、酒宴は艇から陸へ続き、今度は漁師さんから誘いを受け、ここで断ったらヨッタ−マンの恥とついて行くと、その店で先に飲んでいた若い漁師さんが、こそこそと出て行くではありませんか。不思議に思ってこっそりと店の人に聞くと、この港では、一目も二目も置かれる有名な荒くれの漁師さんとかで、一瞬酔いが醒めたような気がしましたが、最後は家までお供をしました。それからは数年に一度、牟岐に行くようになり、着いたとたんにソフトボ−ルの人数が足らないとメンバ−に加えられたり、海の幸の差し入れがあったりと色々なことが思い出されます。

 またある時は、子供たちが遊びに来ているとき岸壁に一人佇んでいる小さな女の子がいました。子供たちに聞くと、登校拒否の子と言うではありませんか。何やかやと言って艇に乗せて遊び、他の子供達に、この子を守るよう約束をさせました。その後訪れた時、その子のお母さんが飛んで来て何度も何度もお礼を言ってくれ、差し入れもどっさり入れてくれて、出航が朝の4時というのに見送りに来てくれた時は、子を思う母の気持ちが良く分かりました。

 その他にも、オイルショクの時、帰りの燃料が足らず困っていたところ、あの漁師さんが自分の割り当て分のオイルを、分けてくれた感激は忘れられません。漁師さんが潜水病に罹った時には、徳大に紹介し一命を取り留めさらに親しくなり、連絡しないで行って漁船のついている突堤に艇を接岸しても、「お帰り。」の言葉を受けるようになりました。このようなことが積み重なって、牟岐の東牟岐港を『心の港』と呼ぶようになりました。
 
 
2004年8月10日 2330 北港出航
この心の交流ができる港を誰かに引き継いで途絶えることのないように思うヨッタ−マンの想いを、寺尾さんそしてBIGELLEのメンバ−が受けてくれたことに感謝しつつ、8月10日2330、北港を出航。船足快調。船内はク−ラ−が良く効いてそしてオ−トパイロット。ヨッターマンにとって最高。艇が55フィ−トあるので前もって牟岐の漁師に電話すると、どこに舫っても良いとのこと。
2004年8月11日 北港〜出羽島〜東牟岐港
翌朝1130、牟岐の沖、出羽島到着。島内見学とおもいきや艇が大きすぎて敬遠されました。仕方なく東牟岐港へ接岸しホット一息していると、漁船が一隻横付け、「お帰り。よう来たなぁ。」の声で、あの漁師さん。「今、漁からの帰り。少ないけどこれ。」と、あわびと紫ウニを差し入れて、「後で来るから。」とのこと。早速、料理ヨッタ−マンの腕の見せどころ。酒宴開始。
飲んでいると若者一人が、来艇。あの頃、子供だった子が今では子供二人の親で、水産高校実習船の講師である。持ってきてくれた魚の差し入れを刺身にして、いろいろ話しているとさっきの漁師さんがカツオを持ってきてくれ、「何か足らんものはないか?氷は?」というのでお願いしたら、組合から漁船に氷を積んで持ってきてくれました。ありがたいことです。

←ヨッターマンと昔仲間に恐れられていた漁師さんとその息子さん
一段落したところで鬼が岩屋温泉へ。タクシーで15分くらい山の中。温泉から海の見える良い温泉でしたよ。夕食は街の居酒屋さんで地元の魚に舌鼓。艇に帰り一杯やっていると、あの登校拒否の女の子が大きくなって、お子さん2人とお母さんとで来てくれました。港にヨットが入っているので、もしかと思って聞いてみると、我々だと聞いたのでとのこと。いつも気にしてくれていることに感謝。
2004年8月12日 東牟岐港
←牟岐駅へ歩いていく途中のELLEPAPAとチャーリー
二人の間のずっと向こうにBigelleのマストがうっすらと見えますが、肉眼では遠くからでもはっきりと見えて、途中参加のメンバーにも駅から歩くのに道しるべになりました。
翌日、陸路、JR牟岐線で女性2人男性1人計3人のメンバ−が加わり、早速昨日いただいたウニの調理。女性にウニがさばけるのかちょっと不安でしたが、出来栄えは最高。実に美味しく、そしてまたもや酒宴。
お昼に牟岐駅から列車で海部駅前の「道楽」というお鮨屋さんにてまたもやおいしい海の幸を堪能し、親切にも女将さんに送ってもらい近くの温泉へ。ヨットで温泉廻り。しゃれていますね。

←道楽の大将
艇に帰ると前に見知らぬ艇が停泊。泊めては駄目な場所で、しかも鍵がかかり誰も居らず、そこへ漁師さんが来てくれ組合長に電話し、組合長が来てくれ無事解決。寺尾さんも組合長とも顔見知りとなり、漁師さんと友達の船大工さんと酒宴。

←右からグッチ、ジェイムス、リサ
そうこうするうち水産高校の先生(写真左)、魚の差し入れ。女性2人のために独身の同僚まで差し入れ。魚をあてにはたまた酒宴。メンバ−が次々と寝ていく中で彼らは朝3〜4時くらいまで飲んでいたとのこと。若いっていい事ですね。
2004年8月13日 東牟岐港〜伊島〜徳島
 翌朝0600に伊島に向け出航。というのに、更に独身の彼に徳島に停泊するので遊びに来るよう約束までしたとの事。来るかこないか徳島での楽しみ一つ増えました。牟岐の夜は涼しく、艇内はク−ラ−が良く効き寒いくらいでした。そのためか皆さんよく眠り、起きたら7時過ぎ。1人早起きの君が、朝早く漁師さんが来て寝ているので魚を置いて帰ったとの事。朝食には獲れたての魚。誰かがビ−ル底ついてきたので酒屋に言って配達してもらおうかどうとか言っているところへあの女の子のお母さんがビ−ル持って来てくれ、「また来てください。」とのこと。漁師さんも漁の出る前に、寄ってくれて「また来いよ足らんものはないか。」との事で、感謝感激しつつ出航。
港の最先端の突堤にあのお母さんが手を振っているではありませんか、胸にジーンと来るものあり、クルー一同、「ありがと〜〜〜う!!!」の声を残して東牟岐港を離れました。東牟岐の皆さん、そして寺尾さんはじめクル−の皆さん、また良き思い出を与えて下さったことに感謝します。

徳島での記事は執筆中です・・・